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「金の卵」~つくもの山のお話し~

むかし、むかしのお話しです。
今の合橋小学校(豊岡市但東町)の場所には小高い岩山がありました。

山の周りは広い田んぼや畑で、秋になると梳いた籾殻でいっぱいになりました。

その山を地元の人は《梳く籾→すくも→つくも》『つくもの山』と呼んで親しみ、「お正月、つくもの山にニワトリがとまると金の卵を産む 山には金の卵が埋まっている」というお話しを、子どもたちに語り継ぎながら暮らしていました。

ある日、『つくもの山』を削って学校をつくる事になりました。
「山を削ったら、埋まっとる、金の卵は出てくるんかな。」
子どもも大人もワクワクしました。ドキドキしました。

みんなの見守る中、町の土建屋さんは山を砕きました。
大きなドリルも使いました。 けれども山はビクともしません。

そこで、町のえらい人が福知山から保安隊を連れてきました。
ビクともしなかった山は保安隊のダイナマイトで爆破されました。

―その日から山はなくなりました。大きな音をたてて消えました。―

金の卵はどうしたのでしょう。
山の跡からは何も出てきませんでした。

山はなくなったけれど、そこにできた学校を《つくもの学校》と今でも呼んでいます。
学校の周りの川を《つくもの川》と呼んで皆が楽しく川遊びをしています。

山はなくなってしまったけれど、《つくも》の名前は今も残っています。
いろんなところに残っています。

探してみるのも面白いかもしれません。
昔、子どもだったお父さんやお母さんの心の中にも残っています。

金の卵はありました。
今、《つくもの学校》の教室で、一生懸命勉強をしている子どもたち。
今、《つくもの学校》の校庭で、元気に走り回っている子どもたち。

すくすく育て《合橋の金の卵》つくもが見守るこの場所で―

(※つくも=“すくも”は1つの説にすぎません、本来の語源は…依然謎のままです。)

《すくも》
米の籾がらを 昔より“すくも”と呼んでいました。現在はこの呼び名を知る人は少なくなっています。

《伝説》
別説で“つくもの山にはお正月に一度だけ鳴く金のニワトリがおり、その鳴き声を聞いた者は大金持ちになる。”という話もあります。
しかしながら、金の卵同様、金のニワトリも、その声も未だかつて聞いた者は誰もいないそうです。

≪経塚のお地蔵様≫
つくもの山の周辺には多くのお地蔵様がありました。

但馬地方では地鎮、地固めの為にお地蔵様が創られたそうです。
現在は経塚登り口に集められ、但東町出合市場地区の方々により大切に奉られています。
つくもの山の伝説を知るのは…今ではこのお地蔵様たちだけなのかもしれません…。

《保安隊》
自衛隊が昭和29年7月に創設されるまで、
昭和27年10月に警察予備隊より改編されたわずか、2年9ヶ月の部隊の総称。
昭和28年春に校舎が落成されている事から“つくもの山”が爆破されたのは昭和27年秋ごろの事と考えられます。

施設データ

住所 兵庫県豊岡市但東町出会市場

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